- 障害児は親を選んで生まれてくるのか
- 人生は初めから決まっているストーリーではない
- 障害児の娘が生まれた時、「なぜ自分にこんなことが…」とショックを受ける
- 子どもに障害があるという事実を受け入れられないで苦しむ
- 障害児育児の大変さとは
- 障害児の在宅看護を行う家族の不安とは
- 障害児の在宅看護にやりがいはあるのか
- 障害児の看護~子どもの匂いは愛おしい
- 特別支援学校の見学
- 健常児と障害児の育児の違い
- 障害児のおもちゃは何が良いのか
- 障害児を在宅看護する親への支援「レスパイト」
- 重症心身障害児を育てる意味とは…
- 重症心身障害児で医療的ケア児の娘は吸引器が必須
- 重症心身障害児の娘が装着している機械について
- 障害児を授かった時の父親の心境とは
- 障害児の父親として感じる「愛すること」の難しさとは
- 孫が障害児と知った時の祖父母の反応とは
- 医療的ケア児の唾液の対応策とは
- 障害児の入浴方法とは
障害児は親を選んで生まれてくるのか
娘が障害児として生まれてきた時に、誰に言われたかは覚えていませんが、
障害児の子どもは、親を選んで生まれてくる。
と言われました。
意味合いとしては
障害児である自分が生まれても、受け入れて愛情を与えてくれる素晴らしい親を選んで生まれてくるんだから、大丈夫だよ。
ということです。
正直、私も実際に障害児の親になるまでは、そういうふうに考えていました。
でも、自分が障害児の親となり、実際に見聞きした話を踏まえると、そういうふうに考えることは、無責任だなと感じるようになりました。
実際、出産した赤ちゃんに重い障害があると分かると、病院に責任を押し付けて、子どもを引き受けることを拒否する親がいます。
もちろん、うちの場合
パパとママなら大丈夫
と思ってくれて、娘が私たちを選んでくれた、と思わなくもないです。
というか、思いたいです…
でも、他人から簡単に
あなたたちを選んで生まれてきたんだ。だから、大丈夫。
と言われると
なんでそんなふうに断言できちゃうんだろう?
と思ってしまいます。
頑張れて当たり前
みたいなメッセージにも聞こえて
なんか釈然としません。。。(ひねくれてて、すみません…)
人生は初めから決まっているストーリーではない
※障害児のいる家庭でも、色々なケースがありますよね…
・障害児を引き受けることを拒否する親もいる。
・責任もって引き受けて愛情を持って育てる親もいる。
・苦難に打ちひしがれて不幸な人生になる可能性もある。
・家族一丸となって協力し、絆が深まり、幸せな家庭を築ける可能性もある。
たとえ、幸せな人生を歩めたとしても、それは、障害児が親を選んで、はじめから決まっていたストーリーじゃなくて、障害児を授かった家族が自分で選んで歩んでいった結果、得たもので、何もしなくても自然と得られるストーリーではないと思うんです。
娘のおかげで特別で幸せな人生になるかもしれない。
もちろん、そうなりたいなという思いもある。
でも、それは「障害児がわたしたちを親として選んだ結果」じゃない。
娘も、長男、次男も、そして母親も父親も家族みんなが人生を受け止め歩んでいった結果だと思うんです。
神様は越えられない苦難は与えない
子どもは親を選んで生まれてくる
とか、そういった考えがあるのは分かります。
でも、それを、苦難に感じている当事者に他人が言ってしまってよいのか。
当時の自分は
なんでそんなふうに言い切れるんだ…?
そう思っていました。
障害児の娘が生まれた時、「なぜ自分にこんなことが…」とショックを受ける
娘が障害児として生まれてくるまでは、「障害者」を自分事として考えることができていなくて、あまり身近な存在として認識していませんでした。
どこか遠い存在というか、自分とはあまり縁がないように感じていたと思います。
人生の主人公として自分が存在しているとしたなら、その主人公が暮らす世界の中に居る住人の一人。
そんな風に他人事のように考えていたと思います。
それが、ある日、娘として「ゆづちゃん」を出産した時から、障害者という存在が自分事に変わりました。
重症心身障害児の親となり、人生は自分の描いていたものから変わり、夫も、ゆづちゃんの出産をきっかけに自分がすべき仕事について考えるようになり、
私は特例子会社(障害者に特別の配慮をしている会社)に所属することになります。
そして、長男の「たーくん」や次男の「きーくん」も、
長男のたーくんです。
次男のきーくんです。
ゆづちゃんという存在から、
長女のゆづちゃんです。
今後の人生について影響を受けていくのだろうと思います。
私自身、ゆづちゃんの看護が必要のため、お仕事に復帰することもなく、家で過ごすことが中心となる等、人生の歩み方が大きく軌道修正されることになりました。
思い描いていた人生とは異なりますが、「こういった人生も、また良かった」と思えるようになっていけたらと思っています。
子どもに障害があるという事実を受け入れられないで苦しむ
ゆづちゃんが生まれて障害があると分かった時、すごくショックでした。
もう、私の人生はずっと曇り空で、晴れることはないんだろうな…
と思いました。
本当に辛い日々だったけど夫と一緒に話し合って、
まずは、3年、頑張ってみよう。
ということになり、日々、必死になって育児に取り組んできました。
すべてを失ったわけではない
今、ゆづちゃんが成長して思うのは、重症心身障害児として生まれたからといって、すべてを失ってしまったわけではないということです。
当時は気づくことが出来なかったけど、寝たきりで意思疎通もなかなか難しい子どもだけど、寝顔はかわいいし、手を握ればゆくもりも感じることが出来る。
確かに出来ないこともあるけど、今も残っている素敵な部分があるんだなと気づくことが出来ました。
時間が解決する
そんなことに気づくまで、数年がかかりました。
「時間が解決する」
って言いますけど、確かに時間をかけて接することで、今まで見えていなかったものが見えるということはあるんですね。
障害児育児の大変さとは
重症心身障害児の娘のこれまでの育児を振り返って、大変なこと、楽しいことを挙げてみたいと思います。
素直に重症心身障害児を子に持つ親の心境をお伝えします。きれいごとではなく、素直な心境を書くことで、現実を知っていただくことも大切かなと思いますので、飾らずに思いを記したいと思います。
(内容的に暗い感じの話がメインになってしまっています…)
大変なこと
①娘は言葉も話せず、表情も少ないので、何を考えているのか分からず、独りよがりの理解になっていないかが心配。
②自分のことをお母さんだと分かってくれているのか、分からない。
③通園している児童発達支援事業所の先生からは、「お母さんだと分かっているよ」と前向きな言葉を掛けていただけるが、単に人が好きなだけだったり、抱っこが好きなだけかもしれないので、前向きな声掛けが複雑に感じることも。
④一生懸命に娘の世話をして、少しでも何か出来ることが増えるかなと期待しても、変わらない。それどころか、側弯(背骨が左右に弯曲した状態)が起きたり、足が曲がったりしてきて、報われない。頑張っても頑張っても報われない。
⑤健常児と成長曲線が異なるので、不安。
⑥主治医に今後、どのように成長するかを聞いても、「いろんなケースがあって分からない」と言われ、先が見えない。
⑦少し外出するだけでも、用意が大変。
⑧障害児の親でディズニーランドなどに遊びに行くアクティブな話を聞くと自分が出来てなくて落ち込んでしまう。
⑨旅行に行っても、娘の世話の準備で気が休まることがない。
⑩旅行に行っても、娘が喜んでいるのかが分からない。
⑪病院に一時的に娘を預ける時(レスパイト)も、預ける準備も大変で、預けている時も気になってしまい、心から休まることはない(病院の皆さんには申し訳なく思います)。
楽しいこと
楽しいことも考えてみましたが、今の時点では、楽しいことは、なかなか思い浮かびませんでした…
「重症心身障害児の育児の楽しさ」を考えてみましたが、現時点では、「重症心身障害児の育児だからこそ、楽しいと思えること」は浮かびませんでした…
もちろん、娘をかわいいなと思ったり、重症心身障害児として生まれてきたことで勉強になること、老後も一緒に過ごせると思うと幸せだなと感じる気持ちはあります。
あらためて「重症心身障害児の育児の楽しさ」を考えてみると、今のところ、「これです!」と自信を持ってお伝えできることが浮かびませんでした…
でも、この「よっちゃんち」のブログでイラストを描いたりすることは楽しい時間なので、このブログを通して、みなさんとつながっていけることが楽しみの一つだと思っています。
障害児の在宅看護を行う家族の不安とは
娘が重症心身障害児で生まれてからは、専業主婦で娘の看護をする日々ですが、もともとは、何か仕事に就いて兼業主婦になりたいと考えていました。
しかしながら、娘は、24時間看護が必要のため、自由に家を出るわけにはいかず、置かれた状況を考えると、専業主婦しか選択肢は残っていませんでした。
毎日、家族が会社や学校に行くのを見送って、家で一人で看護をしていると、
正直、孤独に感じます…
仕事をしていた時のような緊張感や人間関係のしんどさはありませんが、常に、
自分は何をしているのかな…
とむなしさが付きまとってしまいます。
毎日、同じことの繰り返し…。
仕事をしていると、自分が成長した感覚を感じることがありましたが、娘の場合、少しずつ身体は大きくなるものの、首が座るようになるとか、歩けるようになるとか、そういった成長はありませんので、目に分かる成長を感じにくく、「自分は何のために生きているのか」と感じる日が増えました。
どうしても、気持ちが暗くなり、落ち込む日が増えました…
昔からの友人には障害児を出産したことは伝えていませんでした
障害児である娘を出産する前からの友人には、遠方で会う機会もなく、なかなか娘のことを口に出すことが出来ませんでした。
やはり、言いにくいというか、まだ言う覚悟が出来ていませんでした。
口に出すと、気持ちがこみ上げてきてしまうので…
娘が児童発達支援事業所に通うようになってから、重症心身障害児の親同士として、知り合いは増えましたが、それでも、全く同じ障害・症状ということはないですし(寝たきりの子はうちだけです)、障害児の親としての考え方も一緒とは限らないため、なかなか深い関係にはなりにくい現状があります。
プレッシャーを感じる日々
うちの場合は、娘が寝たきりで言葉も発せない為、母親の自分がどう行動するかで、娘の1日を決めてしまうプレッシャーがあります。
例えば、
・自分がテレビを観ていたら、その時間分、娘の人生を犠牲にしているように感じてしまう。
・自分が座らせてあげないと、座らない。
・DVDで何かを見せてあげないと、観ることができない。
自分がアクションしないと、何も出来ないため、プレッシャーも感じますし、一方で、やった分だけの成長が望めるわけでもなく、モチベーションを維持していくことに苦心しています。
私が私のことをし始めると、
私のことをしていて良いのかな…
と罪悪感があり、心から楽しめない気持ちがあります。
休日に長男、次男と遊んでいても、その間、娘が放置されている状態かと思うと、
大分、放っておいてしまったなぁ…
と思ってしまいます。
娘の看護をしてあげたいという気持ちと、でも、なかなかモチベーションを上げにくいことと、葛藤がひどく、しんどい部分はあります。
ネットで「看護疲れ」や「介護うつ」って、どうなのかなって、検索してしまうことが多かったです…
頼れるのは、自分と家族だけ…?
娘の看護生活というのは、孤独との闘いで、訪問看護で良くしてくださる方もいますが、ここ数年の間で、担当の方が会社を辞めるなど代わられることもあり、
気兼ねなく頼ってくださいね
と温かい言葉を掛けていただけて、頼りに思っていても、当然ですけど、みなさん、お仕事として対応されていますので、ご自身の都合で辞めたくなって担当を外れられる経験を重ねますと、
やはり、最後は頼れるのは、自分と家族だけなんだな…
と寂しく思ったりもします。
もちろん、お仕事ですから、致し方ないと思いますが、老後、自分たちが看護が出来ず、娘の世話をお願いすることになった時のことを思うと、悩んでしまう日々です。
障害児の在宅看護にやりがいはあるのか
娘が重症心身障害児として生まれ、在宅看護することになってから、生活は一変しました。
買い物も娘を連れていくのは大変なので、他の家族が見てくれている時に短時間で済ませるようにするなど、気軽に外出することが出来なくなりました。
自分の行動が制限される中、娘の看護に専念していましたが、それでも娘の障害が改善するわけでもなく、健常児のような目に見える成長もなく、在宅看護にやりがいを持てていたかというと、正直に言って無気力に感じる日々でした。
孤独との闘い
健常児の子育ての場合、どこかのタイミングで、本人の意思を感じてくるというか、一人の人間としての性格を感じ取れてきて、
長男って、こんな性格だな。
ということを実感する段階が来ます。
かわいいけど、何を考えているのかな?
と感じていた子どもが、
あ、一人の人間としてのキャラクターが出てきたな~
と感じるようになります。
でも、重症心身障害児の娘の場合、気管切開と喉頭分離をして言葉が出ないということもあり、なかなか本人の意思というものを感じにくく、
何を考えているのかな…?
という状態が長く続きました(今も、明確な意思は感じにくいです)。
看護師の方からは、
ゆづちゃんは、ママのこと、ママだって、分かってますよ
やっぱり、ママだってわかってますね。ママが来ると笑顔になりますもん
と言ってくださいますが、
本当にママって分かってくれているのかなぁ…
って、疑心暗鬼になってしまいます。
私だけ、こんなふうに慎重に考えてしまうのかしらと思っていましたが、知り合いのママさん(同じく重症心身障害児のお子さんがいるママさん)からも、
本当に自分のこと、ママだって分かってくれているのかな…
って、こぼされていて、
そう思っちゃうよなぁ…
と、同じ親としての苦悩を感じました。
このままだと「重症心身障害児在宅看護うつ」になる
いま、振り返ると、一番辛かった時期は、夫が一時的に単身赴任となり、自分だけで健常児と障害児の育児を背負わなければならなくなった時です。
今日一日の在宅看護の状況を夫と話して共有することで、なんとかモチベーションを保っていたのが、それが出来なくなり、本当にしんどい日々でした。
もちろん、夜に電話で夫と話をしてましたが、やはり、面と向かって話をするのとは異なり、一日の疲れを回復する機会を失ったことで、一時期、うつ病かなと心配するほど精神的に落ち込んでしまっていました。
その時には、気分の落ち込みに「セントジョーンズワート」というサプリが良いとか聞いて、服用していたこともありました。
私個人としては、「なんとなく、気持ちの落ち込みが減ったような気がする」という感じでした。
夫の単身赴任が終わり、孤独感が緩和したことで回復
その後、夫の単身赴任が終わり、日々の会話が戻ったことで、少しずつ回復していきました。
いま、振り返っても、夫の単身赴任が続いていたら、かなりマズイことになっていたのではと思います…
今でも、モチベーションは低空飛行というか、やりがいを感じながらの在宅看護とは言い難いのですが、試行錯誤しながら、娘と向き合い、リハビリや食事介助、入浴介助など、健常児のきょうだいの育児もしながら、てんてこ舞いの日々を送っています。
最初は、「笑っているのか、どうなのか」分からない表情の娘でしたが、少しずつ、
今は笑っているかな…
と実感できる瞬間も増えてきています。
健常児と比べて、とっても遅い成長ですし、
正直、同じ重症心身障害児の他のお子さんと比べても、成長は遅い娘ですが…
その少しの成長を大切にしながら、これからも一緒に過ごしていきたいと思います。
期待されていた体験談ではなかったかもしれません
重症心身障害児の在宅看護って、やりがいあるの?
って、思っている親御さんからすると、前向きな内容とは感じられない体験談で、期待されているものではなかったかもしれません。
ただ、これがうちの場合の正直な経験談です。
むしろ、
最近、ディズニーランドに行ってきたよ~
うちはガンガンお出かけに行っているよ~
と前向きなエピソードを話される親御さんからプレッシャーを受けて、より一層、孤独感やしんどさを感じていらっしゃる方が居たら、うちのように苦しい中、今でも低空飛行ながら、自分なりのペースで重症心身障害児の娘と向き合って生きている人もいるということを知っていただき、「そういう親もいるんだな」と思っていただければ幸いです。
重症心身障害児の親御さんって、結構、元気な親御さんも多くて目立つので、私はその元気さに圧倒されることもしばしばです。
でも、娘からしても、自分の看護に親が負担を感じて苦しんでいるより、出来る範囲の中で無理なく一緒に過ごすことが出来た方がいいんじゃないかなって思うようにしています。
夫からも、
今となっては当たり前の日常になりつつあるけど、やっぱり、重症心身障害児の育児は、精神的にしんどいから、無理しないようにしよう。
親が笑顔でいることが子どもにとっての安心感につながるよ。
と言ってくれるので、その言葉に甘えて、自分なりのペースで在宅看護に取り組んでいけれたらなと思います。
障害児の看護~子どもの匂いは愛おしい
子どもの匂いって、なんか好きなんですよね。
ちょっと変な感じに思われちゃうと思うんですが、汗臭い匂いとか、オムツの匂いとかも、自分の子どもの匂いだと、いとおしく思ってしまうんです。
娘はオムツなので、ついつい、替えた後のオムツの匂いを嗅いだりしちゃって、主人から、変な目で見られてしまいます。
主人は、自分の子どもの排泄物でも、
排泄物は排泄物だから。。。
と、私の感覚についてイマイチ分からない感じみたいです。
まぁ、そうですよね。
母親は、自分の身体の中で育てて一緒に居た時間があるので、父親とは感じ方が違うのもあると思いますけどね。
これからも娘のオムツを替えたりしますし、長い付き合いになると思いますので、娘の排泄物の匂いまでいとおしく感じて喜べるのは、ある意味、私の強みですね!
特別支援学校の見学
今回の記事は、娘が入学予定の支援学校の見学に行った際のお話です。
見学当日、受付時間に間に合うように到着して、案内された会場に着くと、私たち家族のほかにも参加されている家族の方がいまして、保健師と思われる方々もいらっしゃいました。
そして、先生の案内で、教室や体育館、トイレなど、校内を見学させていただきました。
うちの娘は重症心身障害児で、自立歩行も難しく、障害児用のバギーに乗っているので、支援学校に行っても、出来ることは限られているかなと思っていましたが、目線で文字を操るコンピュータや、体を支えて上半身を動かしやすくする器具など、娘にも試してもらいたいようなものもあり、少し楽しみになりました。
地元の学校ではなく、特別支援学校を選んだ理由
長男、次男が通っている地元の学校ではなく、自分で送迎もしなくてはいけない遠方の支援学校を選んだのは、やはり、娘の療育を優先したいという思いがあるからです。
重症心身障害児を一般の小中学校に通わせる親御さんもいて、もちろん、事情や考えがあってのものだと思いますが、うちの場合は、地元の学校より、支援学校の方が寄り添った療育が出来るのではと考えています。
実際、支援学校をいくつか見学した感触としても、やはり、うちの娘には支援学校の環境が合っているように感じました。
支援学校も、一見すると、一般の小中学校と同じようにも思いましたが、
・車椅子でも通りやすいように廊下の幅が広い
・校内にスロープやエレベーターもあったり、配慮されている
・校内菜園や遊具もある
上記のような感じで、私は好きな雰囲気でした。
毎日の送迎は正直、少し大変だと思いますが、娘が楽しく過ごせる時間が増えたらいいなと思います。
健常児と障害児の育児の違い
娘が重症心身障害児となり、主治医からの話で、今後、寝たきりとなる可能性が高いと聞いた時、ショックでした。
「障害児の育児」となり、自分が自然と描いていた「健常児の育児」という人生が崩れ、とても落胆しました。
ワクワク期待していた未来が崩れ去った思いでした…
勝手に親として、子どもに愛情を注いでいきたいと考えている一方、勝手に子どもからも様々な愛情を得られると期待していたと痛感しました。
一緒に雑貨屋さんで買い物したり、服を選んだり、女性同士の会話で盛り上がったり、いろんなことを想像してワクワクしていました。
でも、それがなかなか難しいと思った時、とても悲しかったです。
子どもたちと過ごす中、気付いたこと
ただ、子どもたちと一緒に過ごす中、愛情を贈り合うだけでなく、ともに学び合う部分もあるんだなと気付かされました。
子どもたちから愛情をもらったり、あるいは、親としての学びをもらったり、愛情だけでなく、子どもから学んだりすることも本当に多いです。
子どものおかげで、自分がいかに感情コントロールが下手か分かったりもします…。
娘は気管切開をして話すこともできないので、意思疎通が難しいことも多いですが、その分、表情から相手の気持ちを察することの大切さを教えてもらえていますし、娘の看護を通して、学んでいることは大変多いです。
当たり前だと思ってきたのことの素晴らしさに気付いたり、感謝したり。
食べ物を飲み込めることって、すごいことなんだな…
とか、当たり前に出来るようなことの素晴らしさを感じることがあります。
もしかしたら、自分が年老いてから気付くことだったかもしれませんが、娘のおかげで早い段階で人間の機能の素晴らしさについて実感することが出来ました。
あくまで、うちの場合ですが、
障害児の育児は、自分と向かい合う時間が多いです。
自問自答というか、娘を通じて、人間について考える機会をもらっています。
そして、
健常児の育児からは、通常のコミュニケーションが出来る喜びを感じます。
子どもの意思を感じ、子どもと意思疎通が出来る喜び。
自分が辿ってきた成長曲線と同じように育っていく姿を見ることが出来るのは、安心感もあります。
自転車に乗れるようになったり、自分で通学したり、ゲームで遊んだり。
そういった当たり前の姿を見ることが出来るのは、本当に幸せなことだと実感しています。
違いはあるけど、障害児も健常児も大切な我が子
障害児の育児は、自分と向かい合うことが多い、自問自答の育児。
ふとした時に気付きがあったり。
でも、孤独や悲しさを感じることもあったり。
健常児の育児は、相手と向かい合うことが多い、意思疎通の育児。
コミュニケーションを取れるがゆえにストレスがあったり、ぶつかったり。
でも、非常に大きい喜びも味わえます。
もちろん、障害児も健常児も大切な我が子に変わりなく、私たちにいろいろな気付きや幸せをくれます。
このブログでは、娘の育児を通して、重症心身障害児の育児について話すことが多いと思いますが、読んでいただいているみなさんにとって何か有益なものになればなと考えています。
障害児のおもちゃは何が良いのか
長男、次男と異なり、重症心身障害児の娘の場合、市販のおもちゃでは、なかなか自分で遊ぶことが出来ません。
視覚や聴覚はあるので、音が鳴るおもちゃや、光るおもちゃは好きなように見えますし、反応も良いように感じていますが、なかなか重症心身障害児の娘に与えられるようなおもちゃは少ないです。
市販のおもちゃでは難しい
娘の場合、筋緊張や付随運動があって、上手に手足を動かせない為、健常児のように狙い通りにおもちゃに触れることが出来ません。
勢いよく手をぶつけるような仕草か、逆に触れる程度の弱い仕草になってしまい、強弱を適度にコントロールして腕を動かすことが難しいので、指定のボタンを強く押したりもできず、かするくらいの動きしかできないことも多いので、ある程度、圧力をかけないと作動しない市販のおもちゃですと、うまく遊べません。
自分で遊んで発育していくことが難しい
また、健常児なら、自然と自分で遊んで発育していく部分が、重症心身障害児の娘の場合、放っておくと、自分ではうまく遊べず、そのまま寝転がっている状態になってしまうので、自然に育まれる部分が未発達で止まってしまうのではと焦ってしまい、悩ましいです。
現在活用しているおもちゃ
現在、一人遊びが出来るものとしては、「起き上がりこぼし」のように1回ぶつけても、戻ってきてくれるようなおもちゃで遊んだり、
DVDで「おかあさんといっしょ」「ドラえもん」「おさるのジョージ」「プリキュア」といった作品を観てもらったりしています。
ただ、DVDはどの作品が好きなのかは、ちょっとまだ分かっていません
他にも、現在、手作りしようと思っているおもちゃがありまして、「シュシュに鈴を付けたもの」で、娘の腕に付けてあげれば、手を動かす度に鈴が鳴るので、面白いと思ってもらえるのかなと期待しています。
もっと手作りでおもちゃを作ってあげたいと思いますが、なかなか自分のフットワークが重いため、もっと行動力があったらなと反省しています。
親としては、「Aをしたら、Bになる」という因果関係を学んでもらえるおもちゃがあれば嬉しいのですが、なかなか適したおもちゃがなく、悩ましく思っています。
まだまだこれからも模索を続けますが、娘の発育に役立つおもちゃを手に入れていきたいと考えています。
障害児を在宅看護する親への支援「レスパイト」
重症心身障害児である娘を連れてお出かけとなると、薬や娘専用の荷物の準備など、身支度だけで結構な時間がかかってしまいます。
そんな時、「レスパイト」という障害児を一時的に病院で預かっていただける制度があります。
レスパイトとは、在宅でケアしている家族を癒やすため、一時的にケアを代替し、リフレッシュを図ってもらう家族支援サービスのことです。
期間は数日から数週間で、うちで利用する時は2~3日程度預かっていただくことが多いです。
娘を連れていないと一見、在宅看護している家族だとは思われません
娘を連れての外出ですと、どうしても長男・次男が行きたいような場所に行けないこともあり、適宜利用していますが、娘を連れていないと一見すると重症心身障害児の家族がいるとは思われません。
子どもを連れて休日に買い物に来ている一家族。
でも、重症心身障害児の娘の看護をしながらの生活が本当の日常…
それがどうこうというわけではありませんが、娘が重症心身障害児として生まれてくるまでは、見たままの世界をそのまま表面的に理解していたように感じています。
笑顔で買い物している家族を見れば、
楽しそうだな~
くらいにしか思いませんでした。
でも、今は、
今は楽しそうに見えるけど、家に帰ったら、誰かの介護をしているのかも。
もしかしたら、何か心に抱えているものがあるのかもしれない。
と考えるようになりました。
娘のおかげで見ることが出来るようになったこと
「置かれた場所で咲きなさい(渡辺和子 著)」という本に、下記のような文章があります。
私たち一人ひとりの生活や心の中には、思いがけない穴がポッカリ開くことがあり、そこから冷たい隙間風が吹くことがあります。それは病気であったり、大切な人の死であったり、他人とのもめごと、事業の失敗など、穴の大小、深さ、浅さもさまざまです。その穴を埋めることも大切かもしれませんが、穴が開くまで見えなかったものを、穴から見るということも、生き方として大切なのです。
置かれた場所で咲きなさい (渡辺和子 著:幻冬舎)
重症心身障害児の娘を授かった時、自分が描いていた人生とは異なり、心にポッカリ穴が開いてしまうような気持ちになりました。
でも、娘のおかげで、心に開いた穴のおかげで、その穴から相手の気持ちを考えたり、相手に開いた穴の深さを理解しようと努めたり、できるようになった気がします。
重症心身障害児を育てる意味とは…
うちの娘は重症心身障害児で、重い障害があります。
・脳性まひで寝たきりで、気管切開をしており、声も出ません。
・ご飯も口からではなく、胃ろうを通して摂取しています。
・目線は動きますが、表情作りは上手とは言えません。
親としてコミュニケーションを取っていても、なかなか意思疎通が難しいことがあります。
障害児を授かって考える「人間の価値」
娘が重症心身障害児として生まれてくるまでは、
人間の価値とは?
といった哲学的なことを真剣に考えることはなかったように思います。
でも、娘が障害児として生まれてからは、人間の価値について考えてしまいます。
うちの娘は、何らかの形で働いて税金を納める、ということにはならないように思います。
誰かのお世話なくして生きていくこともできないでしょうし、一般的にいわれる自立した生き方は厳しいでしょう。
ですが、人間の価値とは、お金を稼いで多くの税金を納めることなのでしょうか。
存在を大切に感じている人がいれば、きっと価値がある
私は幼少期は祖父母と一緒に暮らしていましたが、大好きな祖父母が働いていない状態だからといって、価値がないとは思いません。
大切な存在で、ただ、そこに居てくれるだけで嬉しいんです。
私にとって、その存在に価値があるんです。
他人から見たら、存在のみで価値があると感じてもらえているかは分かりません。
でも、その存在や記憶が自分にとっては、かけがいのないものなんですね。
いまだに人の価値については答えは出ていませんが、私たち家族が重症心身障害児の娘を大切に思っていること、その気持ちが娘の存在価値のひとつかなとは思います。
重症心身障害児の娘がいなければ、こんなに人の価値について日々考えることはなかったと思います。
これからも娘と一緒に人の価値について考えていきたいです。
重症心身障害児で医療的ケア児の娘は吸引器が必須
うちの娘は重症心身障害児で、脳の障害の影響で、唾液を飲み込むことが出来ません。
専門的な用語でいうと、「嚥下障害がある」といいます。
全く飲み込めないわけではありませんが、ほとんど飲み込めないため、口からこぼれます。
病院のNICU(新生児集中治療管理室)にいる時から、
唾液を飲み込めているか、飲み込めていないか
で悩んでまして、ある日、看護師の方から、
ゆづちゃんは、唾液飲み込めていますよ~
と言ってくださり、主人と一緒になってすごく喜んだことがありましたが、結局、看護師さんの勘違いで、飲み込めていませんでした。
後日、謝られました…。がっかり…
唾液を飲み込めないので、「吸引器」という機械を使って、定期的に唾液を吸ってあげなくてはいけません。そうしないと、口や鼻にどろっとした唾液が溜まって気持ち悪いでしょうし、ドンドン服にこぼれてしまいます。
また、うちの娘は気管切開もしていますので、唾液が口からこぼれて、気管切開している穴(首の下あたり)に唾液が流れていってしまっても、肺に唾液が入っていってしまい、衛生的ではありません。
外出時は唾液との戦い
娘の看護は、常に唾液との戦いで、そのままにしておくと、秒単位で唾液がこぼれていってしまうので、ティッシュで拭いたり、ガーゼで吸収したりして、本当に大変です。
たまに、重症心身障害児の育児をしているご家族の中で、
家族みんなでディズニーランドに遊びに行ったよ~
みたいな話を聞くことがありますが(勝手にプレッシャーを感じちゃいます…)、
うちの場合、この唾液との闘いが本当に大変で、移動するにも、ドンドン唾液がこぼれてくるので、車で移動するのも、電車で移動するのも、バギーでお出かけするのも、一苦労です。
重症心身障害児の娘を育児するまで、唾液を飲み込めないということがあるなんて知りませんでしたが、人間の機能って、少しでも出来ないことが生じると、本当に大変なんだなと痛感しています。
いつか、奇跡が起こって、いきなり唾液を飲み込めるようにならないかしら…。
そんなふうに本気で願ってたりします。。。
重症心身障害児の娘が装着している機械について
うちの娘は重症心身障害児で、「パルスオキシメーター」という機械を付けて暮らしています。
パルスオキシメーターとは、①脈拍数と②血液中の酸素濃度(%)を計測することが出来ます。脈拍数は年齢等にもより、個人差がありますが、血液中の酸素濃度は、96%以上が正常な値で、95%未満は呼吸不全の疑いがあり、90%未満は在宅酸素療法が必要となります。
うちの娘は、以前は人工呼吸器を付けて、酸素濃度を上げていましたが、気管切開し、体調も安定したことで、人工呼吸器は外すことが出来ています。
ごくまれに、体調が優れず、酸素濃度が90%を下回ることがあり、そんな時だけ、酸素を送る機械を使用して酸素濃度が下がらないようにサポートすることもありますが、うちの場合は、本当に稀です。
このパルスオキシメーターの機械を調整して、ある一定の数値を下回ったり、上回ったりした場合に、アラームが出るように設定出来ますが、重症心身障害児で、パルスオキシメーターを装着している子どもの中には、このアラームで意思疎通をしているように感じるケースがあるそうです。
気管切開をしているお子さんは言葉が出ないので、自分の意思を伝えるツールとして、パルスオキシメーターのアラームで伝えているように感じます。
と、看護師の方から聞いたことがあります。
パルスオキシメーターを付けている部分(うちの娘だと足)に力を入れると、(エラーなのか)一時的に酸素量の値が下がり、設定している数値を下回り、警告としてアラームが鳴ります。
もちろん、何らかの事情で足に力が入ってしまっているだけだったり、全く関係ないところで、接触が悪くてエラーでアラームが鳴るケースもあると思いますが、なんとなく、言葉の代わりに意思表示をしているように思える場面があります。
例えば、パルスオキシメーターのアラームがピーピー鳴っているので、どうしたのかなと思って娘のところに行くと、娘が観ていたDVDが終わっていて画面が真っ暗になっていて、
もう、DVD終わっちゃったから、次の動画を流して~
って思っているのかな、とか。
抱っこしてほしい
って思っていて、呼んでくれたのかな、と思ったり。
言葉が出ず、意思表示も難しい娘と少しでも意思疎通をしたいと考えていますので、パルスオキシメーターのアラーム音でも良いので、何か娘の意思を汲み取ることが出来れば嬉しいです。
言葉が出ずに、意思表示が分かりにくい人でも、自分の気持ちを表現できるような機械があれば、本当に良いのになぁと思います。
障害児を授かった時の父親の心境とは
私、三児の父親ですが、長男、次男と子どもを授かった時、親が子どもを愛することって、簡単なことだと思っていました。
すごくかわいい存在で、大切で愛おしいと思いました。
でも、情けないことを白状しますと、障害児の娘を授かってから、愛することって、すごく難しいことなんだなと感じています。
今は娘を愛おしく思いますが、私はまだまだ父親失格だと思っています…。
娘がゼロ歳の頃を振り返ると、そこに今の愛情があったのか、すごく不安になります。
うちの娘は出産時のトラブルで呼吸が止まった仮死状態で出生しました。
長男、次男、長女と同じ産院で出産したのですが、長男、次男の時は、看護師さんが、
おめでとうございます!
と笑顔で声を掛けてくれたんですね。
でも、娘の時は、「出生です」と、表情の無い顔で言われたんです。
娘はそのまま大きな病院に搬送され、私も車で駆け付けました。
幸い、息を吹き返し、一命を取り止め、未熟児での出産ながら、なんとか無事に生まれてきてくれました。
それから、いろんなことが徐々に分かってきて、障害のある子ども、「重症心身障害児」だということが分かるんですけどね。
うちの娘は、今の医療技術だからこそ、命が助かりました。
そうでなければ、助かっていなかったと思います。
昔なら、助けられなかった子どもが、医療技術の発展のおかげで、障害は残るものの、一命を取り止めることが出来るようになった。
それは、とても素晴らしいことですよね。
でも、当時の自分は、そう思えていたのか…
母親と違い、父親の自分は、今後の生活や、今後の人生を考え、リスクやデメリットばかりを考えていたように記憶しています。
当時の自分は、娘に愛情を持っていたのか。
子どもはどんな状態でも、どんな子でも、愛おしいと単純に考えていました。
でも、当時の自分には、どんな状態でも生きていてくれたらいい、そんな当たり前の愛情を持った人間では無かったと思っています…。父親として、本当に情けないですね…。
障害児の父親として感じる「愛すること」の難しさとは
娘が重症心身障害児として生まれた時、素直な気持ちを言うと、すごくショックでした…
自分の子どもを愛するということは、何も考えなくても自然に出来ることだと思っていました。
どんな子であっても、親であれば愛することが出来るのでは思っていました。
ですが、障害のある我が子を愛することが出来ているのか、悩みました。
今も、その渦中にいるのかもしれません…
エーリッヒ・フロムの「愛するということ」を読んで「愛するということ」について考えたりしました。
人間の価値についても考えたりしました…
「寝たきりで、自分で食べ物を飲み込むことも出来ない我が子にどんな価値があるのか」
「なぜ、こうなってしまったのか」
「どこで間違ってしまったのか」
「自分がもっと慎重に考えていたら、結果は違ったのではないか」
……
いまだに、なぜ、重症心身障害児になったかの明確な原因が分からず、分からない中でも、娘が障害児である事実は目の前にあって、自分の心が落ち着くのを待つ時間もなく、心が麻痺したまま、想像もしなかった日々を送り、時間が過ぎていきました。
娘が生まれての3年間は、心が麻痺したまま、とにかく、何とか人生を歩んでいた時期でした…
そして、3年経ってからは、少しずつ現実を受け入れて、落ち着きを取り戻した一方、心の麻痺が解けてきたことで、あらためて現実の痛みが感じられるようになり、それはそれで、しんどい気持ちになりました。
障害児の親になることで変わった人生
「障害児の親」になったことで、出会う人も変わり、自分の仕事も変わり、考え方も変わりました。
障害児の娘の存在は、現在の自分を形成する上で、大きな影響がありました…
娘が入院している病院に頻繁に通う一方で、主治医から「身体に麻痺が残る」と言われていた娘のためにリハビリの本を買って学んだり、脳の機能や筋肉、神経についても調べたりしました。
「娘に障害がある」という事実を知っただけで、街を歩いていても、今まで以上に障害者の存在に気付き、自分の中で、障害者に対する意識も変わっていきました。
そんな日々を過ごす中、
今の自分があるのは、娘が障害児として生まれたからこそ。
だから、障害児として生まれてきてくれたことに感謝している。
という心境になれるかなと期待していたのですが、正直な思いを言うと、「これでよかったんだ」という境地には、まだなれていません…
やはり、娘が健常児として生まれ、「笑顔でパパと言ってくれたら」と思ったりします。
自分から抱きついてきてくれたり、長男・次男と一緒に楽しく遊んだり。
街中で娘と同じような年齢の女の子を見かけると、複雑な気持ちになります。
「あぁ、こんな風に一緒に歩けたらな」と思ったり。
うらやましく思う気持ちはあります。
個人的には、障害児を授かることって、すごく特別な出来事だと思っていて、
だから、特別な人生になるのかな…
と思ったりすることもありましたが、やはり、平凡な人生には変わらず、すごくショックなことが起きたからと言って、その逆のすごく特別で良いことがセットで起きるわけではないんですよね。
障害児が生まれ、特別な人生になり、すごく幸せになる家庭もあれば、全く人生は変わらず、ただ、障害児がいるという家庭になっただけ、ということもあり、むしろ、後者の方が多いのかもしれません。
自分の考え方次第で人生は変わる
でも、そんなふうに考えてみると、障害児がいる家族でも、その事実だけで人生が決まってしまうのではなく、自分の考え方次第で幸せにもなれるのかなと思います。
障害児がいることで、何か特別なことはないけど、といって、もう絶対幸せになれないというわけでもない。
障害児がいるという事実だけが、すごく特別なわけではなく、みんなそれぞれ抱えていることもありますしね。
障害のある我が子を愛することについては、まだまだ手探りで、どうすればいいんだろうと悩む日々ですが、これからも大切な家族として一緒に生きていきたいと考えています。
当時、号泣しながら聞いた曲
今は、娘への愛を感じることが多いのですが、娘が生まれた当初、大切な我が子として受け入れているのか悩んでいた頃、聴いた曲があります。
「キセキ」という曲(MINMI作詞・作曲)で、
障害のある我が子を愛することが出来るのか悩んでいた自分には、非常に苦しい内容の曲で、聴いた時、号泣してしまいました。
言葉の出ない我が子の思いを歌っているような気がして、胸が締め付けられました。
今、あらためて聞いてみても、やはり、胸にくるものがありますね。
自分は子どもたちを愛することが出来ているのか。
これからも向き合っていかなければならないことだと考えています。
孫が障害児と知った時の祖父母の反応とは
娘が未熟児として生まれ、後遺症として障害が残ることが分かってから、自身の両親(娘からすると父方の祖父・祖母。遠方に住んでいる)にそのことを報告しました。
今となっては、どんなリアクションだったか、よく覚えていないのですが、後日、父親から電話があって、
今後のお前の苦労を考えると悲しい…
と、電話口で泣かれました。
その時の心境としては、複雑なもので、私の方が気を遣って、そんなに悲観しないように慰めて、
大丈夫。家族で乗り越えていくし、迷惑は掛けないようにするから…
というような話をしたと思います。
祖父母も突然のことで不安とショックでいっぱいだったでしょうし、感情的になってしまうのは当然だと思います。
今、当時を振り返って、「もし、こんなリアクションだったら、楽な気持ちになったかも…」という反応を考えてみましたが、
そうか…。大変だな。私たちも初めてのことで分からないことだらけだけど、何か出来ることもあるかもしれないから、困ったら相談するんだよ…
というような、
私たちも戸惑っているが、支えたい気持ちはある
という反応でしたら、ほっとしたかもしれません。
人生において取り返しのつかないこともある
人生において、取り返しのつかないことって、そんなにたくさん無いと思いますが、娘に障害があると分かってからは、
ここからどんなに頑張っても、娘の障害を無しにすることはできない…
と思い、自分の人生にも、取り返しのつかないような出来事って起きるんだなと感じました。
ノーベル賞を受賞するような博士でも自分の娘の障害を治すことは出来ない
人間が出来ることは、まだまだ少なくて、神の手といわれるようなお医者さんでも、一人の障害児の障害を治すことは出来ない。
以前は、テレビで名医といわれている方を見ると、
へえ~すごいなぁ!
と素直に思っていましたが、重症心身障害児の娘の障害を治せない現状を見て、
でも、どんなにすごい先生でも、障害児を治せないんだよな…
と、少し諦めのような思いを抱くようになりました…。
人間には限界がある
当たり前のことかもしれませんが、その当たり前の事実を実感することになりました。
医療的ケア児の唾液の対応策とは
重症心身障害児の娘は嚥下障害があって、唾液を飲み込むが出来ない為、口からよだれを垂らしてしまいます。
・このよだれの対応が本当に大変で、常に出てきますので、常にティッシュを用意して拭いたりしています。
・よだれが垂れてしまうと服が濡れたりして本人が気持ちが悪かったり、冷たくなって風邪をひきやすくなったりします。
・加えて、うちの娘は、気管切開しているので、「永久気管孔」という気管切開で開けた穴によだれが垂れ流れても衛生的に良くないので、結構神経質に拭いています。
様々な場面で唾液の対応は大変…
重症心身障害児の娘のよだれ対応は、様々な場面で対応が求められ、苦戦しています。
◎ベッドで横になっている時
少し目を離すだけでも、よだれが口元から耳側にこぼれて耳や髪がベタベタになってしまう。
◎座位保持椅子に座っている時
口元から下によだれが流れて、首元や、永久気管孔に垂れ流れてしまう。
◎外出時に助手席やバギーに乗っている時
車の運転中もよだれは垂れてきてしまう。また、外出の時は吸引器も外に持ち運んだりが一手間。自宅と違って近くに洗面所があるわけではないので、吸引時に手を清潔にするのが大変。
唾液問題でお出かけも億劫になってしまう
こんな調子でよだれが垂れ続けることは、常に気を張って見ていないといけないので、精神的にもしんどいですし、お出かけに行こうと思っても、吸引器を積んで、ティッシュを確保して、常に目を配りながらになってしまうので、娘を連れての外出は本当に大変です。
休日のお出かけであれば、夫婦でお出かけ出来るので、車の運転とよだれの対応を手分け出来ますが、平日に娘の通院のため、母親だけで病院に行くこともありますので、そういった時は孤軍奮闘で、家に帰ってくると、どっと疲れます。
現在の対応策
今もよだれの対応は大変で、解決出来てはいませんが、場面に応じて対応策を講じています。
◎ベッドで横になっている時
⇒ペット用のデオシートを一番下に敷いて、その上にタオルを置き、タオルの上にティッシュを敷いて対応。
当初は、ペット用のデオシートを敷くことに抵抗感がありましたが、よだれでベタベタになってベッドがカビてしまってもいけないので使用していますが、すごく助かっています。
◎座位保持椅子に座っている時
⇒「持続吸引ポンプ」という機械を使用して、持続的に唾液を吸引しています。これを使用するようになってから、座位保持椅子に座ってもらいながら、胃ろうにご飯をシリンジであげる時によだれのことを気にしないで済むようになり、大変楽になりました。
持続吸引ポンプですが、乾電池式のタイプも2回ほど購入しましたが、いずれも数か月~1年くらいで壊れてしまい、コンセント式の方が少し高いのですが、こちらは音も静かで長持ちでしたので、こちらをお勧めしたいです。
◎外出時に助手席やバギーに乗っている時
⇒首元のスタイのところに隙間なくティッシュを埋めて対応。車を運転中の場合、信号待ちのタイミングで素早くティッシュを入れ替えたり、口元のよだれを拭いたりします。
以上のような対応策でよだれ問題に対処していますが、エンドレスで出てくる唾液に日々、苦戦しています。
唾液を飲み込んでもらえたら…
と願わない日はありません。
同じ重症心身障害児のお子さんでも、唾液が外に出ない子もいて、それはそれで誤嚥のリスクもあるのですが、うちの娘のように喉頭分離している子どもは、気管に流れることはなく、誤嚥する危険性がないので、出来れば食道の方に流れてもらえたら助かりますが、なかなか思うようにはいきませんね。
これからも、娘の唾液の問題とは付き合っていかなければならないですが、めげずに良い方法を模索していきたいと思います。
障害児の入浴方法とは
うちの娘は重症心身障害児で寝たきりのため、自分で入浴することが出来ません。
そのため、夫婦で協力して入浴介助しています。
入浴手順
参考までにうちの入浴手順についてご説明します。
①身体が脳性麻痺で固いため、大変脱がしにくいのですが、本人が嫌な気持ちにならないようにやさしく服を脱がします。
②夫と協力して入浴できる場合は、先に夫がお風呂で待機して娘を受け取ります。
③シャンプーやボディソープで髪や身体を洗いますが、その際に不用意にシャワーで流すと、気管切開している首元の永久気管孔に洗い流した水が流れ込んでしまうので、タオルを被せた上で、そこの部分にシャワーがかからないように慎重に洗います。
④湯舟に浸かりますが、緊張が強いと身体を反ってしまうので、なかなか大変です。
⑤十分温まったら、呼び出しボタンを押して迎えに来てもらい、娘を手渡す
⑥タオルで身体を拭いてから、気管切開のカニューレを固定する紐(首紐と呼ばれています)を新しい首紐に交換します(紐の擦れ防止でワセリンも塗る)
看護される方によっては、首紐交換は慣れるまで大変だとよく言われます
⑦綿棒で胃ろうの付近の水分や汚れを拭き取った後、胃ろう付近の肌に軟膏(アズノール)を塗る
胃ろうの付近の肌荒れを予防のためです
⑧胃ろうと皮膚の間にガーゼを挟み、テープで固定する
ガーゼを挟むのは、腹圧がかかった時に胃の内容物が染み出るのを吸い取る為です
⑨髪をドライヤーで乾かしたり、綿棒で鼻や耳を軽く拭ってあげたり、リップを塗ってあげたりします。
冬場、乾燥する時期は、ボディクリームも身体に塗ってあげます
以上のような流れで入浴介助しています。
いつまで夫婦で入浴介助ができるか心配…
現状は、夫婦で協力して入浴介助が出来ていますが、娘も日々成長し、身体も大きくなりますので、抱えてお風呂に入れてあげることが、いつまで出来るか心配になります。
日々、娘を抱えてお風呂に入る中、なかなか抱きかかえることがしんどくなってきており、いつか、他の人の手も借りないと入浴出来なくなるんだろうなぁと考えています。
今のところ、夫婦で頑張れていますが、わたしたち親は年を取り筋力が衰える一方で、子どもは成長して大きくなりますので、どこかで限界が来ますよね。
障害児の運動会とは
うちの場合、健常児(長男、次男)の運動会にも親として参加しますし、重症心身障害児の娘の運動会にも参加しますが、やはり、内容は異なりますし、感じ方も変わります。
健常児の運動会は成長を感じる楽しいイベントですが、重症心身障害児である娘の運動会は切なさを感じる日でもあります。
重症心身障害児でも元気に走れる子もいれば寝たきりの子もいます
娘が通園している「児童発達支援センター」には、様々な障害児が在籍していますが、障害の度合いによってクラス分けがなされており、重症心身障害児である娘は、他の重症心身障害児のお子さんたちと同じクラスになっています。
年間イベントのひとつである「運動会」は、同じクラスの重症心身障害児のお子さんたちと一緒に行うのですが、走ることが出来るお子さんもいれば、うちの娘のように寝たきりで自分では歩くことも出来ない子どももいます。
ですので、一律にみんなでヨーイドンで駆けっこを行うといった健常児で行う運動会の内容をそのまま実施することは難しいです。
寝たきりでどうやって駆けっこをするのか
とはいえ、運動会で駆けっこがないのも物足りないので、やはり、駆けっこの競技はあります。
では、どうやって実施するのか?
自分で走ることが出来る子どもは自分で走り、うちの娘のように歩くことが出来ない子どもは、台車に箱を乗せたものに座り、先生が後ろから押してくれます。
そして、ゴールすると、
ゆづちゃーん!よくやったね~!
と喜んでくれます。
先生には申し訳ないのですが、
…いや、うちの娘は、少しも歩いていないよ(涙)?先生が押したんだよ…
と、すごく切ない気持ちになります。
仕方がないんですけどね…
重症心身障害児のクラスでも、個々の障害の症状には差があるので、どうしても競技内容によっては、出来ないことも多く、成長を実感して喜ぶどころか、他のお子さんとの差を感じて、どんよりしてしまうことも多いです。
夫は運動会に参加できなくて、当日私がビデオで撮影した動画を観ましたが、
切ないね。辛いなか、ママだけで頑張ってくれてありがとう…
と声をかけてくれました。
大切なのは子ども本人が楽しんでいること
もちろん、段ボールのソリに子どもを乗せて先先生が引っ張るなど、寝たきりでも一緒に楽しめるような内容もあったりしますし、他の子と比べて辛くなっているのは親だけで、娘本人は楽しんでくれている可能性もあります。
大切なのは、親がどう思うかより、主役である娘にとって楽しいイベントであることですよね。
娘は言葉も出ず、どこまで分かっているのかは分かりませんが、なんとなく楽しんでくれているような気もしますので、私たち親もあまり悲観し過ぎず、楽しみ方を模索していきたいなと思います。